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繰り返す「卒業」の輪廻について

今週のお題「卒業」。

たまにこうしたお題で書いてみると、視野が広がる気がする。例のごとく書きながら、書きたいことを考えなければいけないのが億劫ではあるものの、とにかく親指を動かしてみることにする。

学校からの卒業

卒業。輝かしくも懐かしい響きである。多くの人がこの言葉を聞いて思い浮かべるのが「学校」ではなかろうか。小学校、中学校、高校、大学、専門学校などなど。どの時分の卒業が一番輝いていたかは、人によって違う。「卒業式で感動したことなんて一回もない。」というスーパードライモンスター.pdfみたいな人物もいるだろう。

アンジェラ・アキからの卒業

さて、学校からの「卒業」から更に連想していくと、アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓 十五の君へ」という卒業ソングに辿り着く。これは人によって異なるかと思うが、今回この記事をご覧になられている方は全員アンジェラの「手紙」に辿り着くものとする。

「聴いたことねぇし!」という方は、親切心で下記にYouTubeのリンクを貼り付けておくので聴いておくように。

youtu.be

さて、ここからは全員がアキの「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」を視聴済みであることを前提に話を進めていこう。

この曲は良い。リズムが良い。歌詞も素敵だ。YouTubeのコメント欄なんか見てると、様々な人が感想という名の自分の物語を綴っている。それを読んでみるのも良いだろう。「ラーッラーッラッ」のメロディラインなんかは口ずさむだけで、あまりの気持ちの良さに口から喜びを感じることができる。

数ヶ月前の僕はこの「手紙」という曲をヘビーローテンションしていた。まさに「自分とは何で、どこへ向かうべきか、問い続ければ見えてくる」という状態の中にいた僕にとって、この曲は耳を伝って全身に染み渡った。眠れない夜もあった。苦くて甘い今を生きていると言っても過言ではなかった。しかし、何回も何十回も聴いていると、自分が抱えていた悩みのようなもがスウッと消えていった。

不思議なことに、それと同時進行するかのようにして、この曲も聴かなくなっていった。アンジェラ・アキからの卒業である。あれだけ声をビブラートにして、どこまでも伸びるような声を真似して歌っていた「手紙」を知らず知らずのうちに卒業していたのである。

次の話題に移ろう。

新垣結衣への入学

『くちびるに歌を』という映画をご存知だろうか。先に触れた「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」の作者アンジェラ・アキ五島列島の中学校を訪ねるテレビドキュメンタリーをもとに中田永一が書きおろした、青春小説だ。

kuchibiru.jp

この小説を映画化した作品の中に、美人訳ありピアニストとして新垣結衣が出演している。ここまで書くと、察しの良い皆さんはもうお気づきかもしれない。僕はこの映画をきっかけに新垣結衣という女優に入学した。今風に言うのであれば入信した。

正確には、ドラマ『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』以来2回目の入学である。

http://www.ntv.co.jp/boss/images_wallp/mb1_800_600.jpg

しかし、前回はアッという間に卒業してしまった。ドラマの終了以降、新垣結衣との接触時間が激減したためである。(この表現に怒りを覚えた人がツイストダガーナイフをこちらに向けてくることを承知で書く。)だが、今回は違う。時期的には『くちびるに歌を』を観終わった後にちょうど『逃げるは恥だが役に立つ』という新ドラマが始まった。これにより、新垣結衣との接触回数は維持されるどころか増加の一途をたどった。(どうかそのツイストダガーナイフをおさめて最後まで僕の話を聞いてほしい。)

新垣結衣と触れ合う時間はその後もバラエティ番組への露出や雑誌の表紙などを通じて増えていった。しまいには『空飛ぶ広報室』という新垣結衣主演ドラマを偶然観てしまい、新垣結衣からの卒業は遥か彼方へと吹き飛んで行った。「次は何を見れば良い。”新垣結衣 〇〇”の〇〇に入る検索ワードを教えてくれ!」という興奮状態の中にいた。

新垣結衣からの卒業

小学校が6年、中学校が3年で卒業を迎えるように、どれだけその場所が好きだろうが、嫌いだろうが、いずれは卒業する時期がやってくる。当然僕と新垣結衣の蜜月もやがては終焉を迎えることになる。(どうかその固く握り締めたツイストダガーナイフを鋭利に研ぐのはやめてほしい。)

新垣結衣バナナマンと一緒にやっている超昔のコント番組にかじりついていた時には、もう一生卒業できないかもしれないなと思っていた矢先、急激に環境の変化が起きた。簡単に言うとめちゃくちゃに仕事が忙しくなったのである。それからというもの新垣結衣と僕が顔を合わせる時間は限りなくゼロに近づいていった。(わかった。もうそのツイストダガーナイフで僕を突き刺してくれ。)

卒業という輪廻

「接触時間」というのは、その記憶や感情を高ぶり揺さぶることに最も適したツールのひとつである。だからこそ、悪手を打ってしまえば逆に卒業生を大量に生み出してしまう可能性もある。そうした玉石混合のマーケットの中で僕たちは生きている。だからこそ、この入学と卒業の繰り返しが輪廻のように続いていくことだろう。

僕たちは新たな出会いへの希望と、いずれ来る別れへの寂寞を胸に日々を生きていかなければならない。

最後に()の中のテキストを書くことを楽しんでいた僕を許してほしい。なんなんでしょうね、この駄文。終わりです。